最近、年齢を聞かれて「もうすぐ27歳です」と答えると
「大人だね」というニュアンスの言葉が返ってくることが増えました。
実際ちゃんと大人だし、なにもおかしなことではないですが、
あえて「いま26歳です」と答えると「まだまだ若いね~」と返ってくる確率が格段に上がります。
この差はなんだろう、と考えている今日この頃です。
そんなことはさておき
長いこと趣味で詩を書いています。
意外とね、趣深い趣味を持っているんです。
今使っているスマホに残っている1番古い作品は
2016年、当時高校3年生の時に書いたものです。
2016年の詩を読み返してみると、いやー、若い。
学生ならではの不安定さや、まだ見ぬ世界への好奇心なんかを
文面からひしひしと感じます。
もはやちょっとした黒歴史。
恥ずかしくてスマホぶん投げたくなる気持ちもありますが、
幼少期のアルバムを見て「懐かしい~!」と感じ、当時のエピソードを思い出すのと同じように
過去に作った詩から、当時の自分が感じていたこと、見えていた景色を思い出すのが私は好きです。
一方で、詩を読み返すたびに
昔の方が感受性豊かで、世界が色鮮やかに見えていたな…
なんて、ほんのちょっとだけ寂しくなるのも事実。
年齢を重ね、いわゆる“大人になる過程”の中で
固定概念にとらわれず感受性豊かであり続けるためには
生活の中に「想像力」と「妄想力」を意識的に取り込むことが大切だと、
最近より強く思うようになりました。
例えば、時計の秒針が動くのを見て
ちゃんと一定の速度で動いているなーと思うか
どの針よりも細い体で動き続けて、正確な時間の土台をつくっているって凄いな、
時計を絵に描くと長針と短針だけにされがちだけど、
土台を支える秒針の大切さにもっと目を向けるべきだよなって思うか。
みたいな。
想像と妄想から自分なりの価値を生み出す作業が
詩を書くうえでの広い視野につながり、なんなら仕事にも活かせるのではと思っている最近の私です。
実際につくった詩は恥ずかしすぎるので絶対公開しませんが、
いつまでも感受性豊かに詩を書き続けたいなぁと思う、そんな趣味のお話でした!